夏の残り香

 私は最近ようやく夏の終りを受け入れることができた。

 9月もあと2日で終わろうというときに何を言っているのだ、と思われるかもしれないが、それほど私は夏が好きで夏が過ぎ去っていくのを惜しんでいたのである。

 たとえば、空を見上げてはあの雲は入道雲っぽいとか、雨上がりの空気が夏っぽいとか、過ぎ去った夏の影を身近に求めていたのである。

 コンビニにタバコを買いに行くと、未だに花火セットを置いている所がある。値段も半額で、レジの前付近に置いてあるのだけれど、もう手に取る人はいない。視線だってチラリとも送りはしない。

 私がお金持ちなら、全国のコンビニから花火セットを買い占めてしまいたいくらいだ。でも生憎、私の財布には(もちろん預金通帳の中にも)、そんなお金はありはしない。家に帰って線香花火の代わりにタバコの灯りを灯すくらいしかできはしない。

 夏にやり残したことが私にはたくさんある。そしてそれは、私が死ぬまで増えることはあっても減ることはないのだ。